Society 5.0が目指すべき未来社会の姿として内閣府によって提唱され、IoT(Internet of Things)やAI(人工知能)、ビッグデータといった科学技術をいかに活用するかが近年よく議論されている。スポーツにおいても、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)やチャレンジシステムなどが導入され、スポーツへのテクノロジー導入の是非が問われている。
スポーツとテクノロジーの関係に焦点をあてた研究を概観すると、スポーツにおける用具や先端技術に着目し、テクノロジーの発展がスポーツにどのような影響を及ぼすのかを探る論考(柏原, 2018)や、テクノロジーは「近代スポーツがつくりあげてきた『自然な身体』という身体観」(坂,2016)にどのような揺らぎを生じさせたのかを考察する論考がいくつかみられる(佐伯,2009)。それらの先行研究の一つの特徴は、テクノロジーの発展によってスポーツをする主体が消失していくと主張する点にあるだろう。我々の日常生活は人間の身体と人工物が協働して成り立っているにもかかわらず、スポーツにおいては人間の身体と人工物を切り離すように考えてしまう(渡, 2013)のはなぜだろうか。こうした問題意識に基づき、本シンポジウムでは、スポーツとテクノロジーの関係を問う際に、なぜ人間を中心とする議論に収束するのかについて検討していく。
具体的には、はじめに世話人の宮澤(筑波大学大学院)より、スポーツ界においてテクノロジーがどのように語られてきたのかについて、先行研究の整理をもとに報告する。次いでテクノロジーの人類学をご専門とされる久保明教先生(一橋大学)より、ブルーノ・ラトゥールが提唱した「対称性人類学」のアプローチに基づいた、身体と人工物を切り離さずにスポーツとテクノロジーの関係性を捉える立場から、なぜ身体と人工物を切り離した人間中心主義的なスポーツ観が維持されているのかについての示唆をいただく。そして、スポーツのなかでもテクノロジーと身体の関係性が特徴的に表出されるパラアスリートに着目し、テクノロジーとスポーツの関係性およびスポーツにおける身体について世話人の中村(立教大学大学院)より報告する。そして最後に、登壇者による総合討論やフロアからの質疑応答を通して、スポーツとテクノロジーの関係性がどのように変容してきた/変容しうるのか、またスポーツ・身体とはどのようなものなのかについて議論を深めたい。
東京オリンピック・パラリンピックを目前に控え、大会を支えるボランティアに注目が集まっています。「ボランティアは、TOKYO2020を動かす力だ。」(募集サイト)の一文の通り、競技運営や観客のサポートをする大会ボランティアと、交通案内をする都市ボランティア、あわせて10万人以上がこの大会への「参加」を表明しています。
池田氏は、このような国民が主体的に「参加」する五輪は、1936年のベルリン大会から始まったと主張されています。ナチス五輪などに関する詳細な分析から、オリンピックとボランティア、さらには、ボランティアが必要とされる社会について考えてみたいと思います。
ベルリン五輪からそれは始まった―現代史のなかの熱狂・抵抗・ボランティア
池田 浩士
1936年にドイツで開催された第11回オリンピック(冬季=ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、夏季=ベルリン)は、独裁者ヒトラーと彼の率いるナチ党によって演出された一大スペクタクルとして、五輪史上に特異な位置を占めています。夏季大会で初めてアテネからの「聖火リレー」や「選手村」が登場し、以後の恒例となったことは有名ですが、それ以外にも世界を驚かせた多くのイベントや方策が、ヒトラーの意思によって実行されました。ナチスの最大の政治方針だったユダヤ人や黒人に対する人種差別さえも、五輪期間中は「中止」されたのでした。五輪をつつがなく開催することは、ヒトラーにとって、それほど重要だったのです。そして、ドイツ国民は観客として競技に熱狂しただけでなく、スペクタクルを展開する主体となって、この世紀の祭典に参加しました。この祭典と熱狂の背後でどんな現実が進行しているのか、ここからどんな歴史が始まるのか、国民には見えなかったのです。
―84年前のナチス五輪をいまあらためて見つめなおし、そこで起こった出来事を歴史の脈絡の中で再考するとともに、「オリンピック」が現在もはらむ様々な問題について考え論議するための手がかりや素材を、ともに模索してみたいと思います。
2020年東京オリンピック・パラリンピックは、「復興五輪」とされている。周知のとおり、1940年に予定されていた東京オリンピックには関東大震災からの復興が、また1964年大会にも第二次世界大戦後および新潟地震からの復興が掲げられていた。もちろん、海外で開催されたオリンピックにおいても、1920年アントワープ大会(第一次世界大戦)、1948年ロンドン大会(第二次世界大戦)には「復興」が重ねあわされていた。
2011年3月11日以降、スポーツによる被災地復興支援にも注目が集まっている。2019年ラグビーワールドカップが釜石で開催されたように、被災地におけるメガイベントの開催は復興に積極的に貢献するものと見做されている。そして現在、2020年大会に向け復興庁では以下のような事業が進められている。被災地での競技開催、「復興」を開閉会式の演出テーマにする、聖火リレーをJヴィレッジより開始する、被災地の資材・食材の活用、「復興『ありがとう』ホストタウン」の設置などである。
その一方で、「復興」とスポーツがどのような結びつきをもつのか、数々の復興事業の中でスポーツが何を担ってきたのか、その意義や限界などについては十分に検討されてきたとは言い難い。本学会においても、かかる視点からの研究蓄積が十分あるわけではない。さらには1964年東京大会における新潟地震のように、「復興五輪」やレガシー言説によって、被災地の現実が不可視化され隠蔽されるという批判がある。
実際の被災地とスポーツの現状とはいかなるものなのだろうか。2011年3月11日から今日まで、復興とスポーツとはどのようにかかわり、また復興五輪とは当該地域社会にとっていかなるものである(あった)のか。本シンポジウムでは、東北や被災地の現在に視点を据え、そこから2020年東京オリンピック・パラリンピックを照射し、その意義と限界について批判的に検討してみたい。それらを通じて、スポーツや五輪開催による今後の復興支援のあり方を問うていくこと、これが本シンポジウム開催の目的である。
秋田大学 教育文化学部
E-MAIL jsss2019akita@gmail.com(開催校への連絡はメールでお願いします)