シンポジウム・講演等(研究委員会)

研究委員会

研究委員会企画

タイトル
スポーツとモニタリング
日時
2018年3月18日(日)13:00~15:30
概要
今年度のテーマは、昨年度の「スポーツと視覚」を発展させたものです。現代生活は、多くの領域にわたってデジタルテクノロジーによる監視下にありますが、この傾向がとりわけ顕著なのはスポーツです。そもそも、「デジタル」の本義に立ち返るなら、スポーツこそ、身体というこの上なくアナログ(連続的)なものを、勝敗というデジタル(離散的)なものに変換するテクノロジーであるといえます。視覚的な客観性は、この変換において重要ですが、直接目には見えない変化、ただの一時的なブレにしか見えない変化もあります。モニタリングによるデータベース化は、こうしたノイズ的な変化にも客観的傾向を浮かび上がらせてしまいます。本シンポジウムでは、試合の場におけるビデオ判定という視覚的なモニタリングから、トレーニングの過程におけるより通時的な自己モニタリング、さらには、この両者のモニタリングを逃れうる身体の可能性まで含めて論ずることで、スポーツ社会学が一般的な監視社会論に対して発言することを試みます。
登壇者(順不同)
柏原全孝:正しい判定を作り出すテクノロジー
甲南女子大学文化社会学部准教授。論文に「判定者について : 審判と判定テクノロジーをめぐる社会学的考察」など。

大沼義彦:「走る私」をモニタリングする「私」
日本女子大学教授。研究テーマはスポーツメガイベントと都市開発だが、今回は、自身のマラソントレーニングにおけるウェアラブル機器、GPS、携帯電話アプリなどの使用経験について発表する。

ベルナール・アンドリュー(Bernard ANDRIEU):The impossible control of living body : an example emersive movementsin circus sport(生きている身体の制御不可能性:サーカススポーツにおけるエマーシブな動作の事例)
パリ第五大学教授、身体の技法と問題研究所所長、フランス語圏スポーツ哲学会会長。
著書に『Apprendre de soncorps : Une méthode émersive au CNAC(身体から学ぶ:フランス国立サーカス学校におけるエマーシブな方法)』など。

司 会:倉島哲(関西学院大学) 通 訳:鷲谷洋輔(同志社大学)

学生企画シンポジウム

タイトル
近代スポーツの果て、あるいはその先を問う
日時
2018年3月17日(土)11:00~13:00
話題提供者
小丸超(龍谷大学)
浜田雄介(京都産業大学)
佐藤彰宣(立命館大学)
コメンテーター
西山哲郎(関西大学)
司会
水出幸輝(関西大学大学院)
シンポジウムのねらい
2020年、東京で2回目のオリンピックが開催される。しかし、このオリンピックは1964年のオリンピックのように、人々の記憶に残るものとなるであろうか。
1964年当時、日本は高度経済成長の時代であった。そこでは、人々の生とアスリートの生は近しいものであったことだろう。具体的に言えば、人々の「立身出世」とアスリートの「上昇志向」は「進歩」の観念のもとで共振していたのだ。しかし、冷戦崩壊後、特に2000年代以降は貧富の格差が拡大・定着し、資本主義の限界が徐々に露呈してきた。多くの人々は「右肩上がり」どころか「現状維持」で精一杯ではないだろうか。もっとも、オリンピックで世界記録が出れば、あるいは日本人が金メダルを取れば、われわれはやはり大いに熱狂するだろう。しかし、もし2020年のオリンピックを(一時的な熱狂ではなく記憶に残るものとして)成功させようと思うならば、われわれは(「進歩」に代わる)新しい価値観と感受性を大真面目に考えていくべきではないだろうか。
今回の学生企画では、3人の若手研究者が話題提供をする。小丸超(龍谷大学)は企画の趣旨を説明するとともに、現代社会とスポーツにおける「身体の消失」について語る。そこでは、現代社会でもスポーツでも「間」という身体性が減退していると指摘されるだろう。また、浜田雄介(京都産業大学)は「するスポーツ」の視点から「スポーツの逆説」について語る。そこでは、「強さ」を求める(はずの)トライアスロンの魅力が「弱さ」の露呈にある、と主張されるだろう。そして、佐藤彰宣(立命館大学)は「見るスポーツ」の視点から「ヒューマニズムの二重性」について語る。そこでは、雑誌『ナンバー』が「人間ドラマ」の視点だけでなく常に(物語に回収できない)「謎」を包含している、と指摘されるだろう。なお、以上の3つの話題提供を受け、コメンテーターである西山哲郎先生(関西大学)、またフロアの皆さまにコメントをいただき、活発な議論を展開したい、と考えている。